行き過ぎは差別助長
~肥満は悪か~
百家争鳴ダイエット学8(2005年3月24日沖縄タイムス寄稿文より改変)
沖縄県の一部の市が肥満対策に真剣に乗り出したとき、私は沖縄県での活動の中心を肥満者保護へと切り替えた。市の理屈はこうである。
肥満者が増えるとやがて高い確率で病気になり、彼らが使う医療費が市の財政を圧迫する。だから、できるだけ肥満者は減らさなければならない。腎不全、脳梗塞、高血圧、関節症、糖尿病、ある市で実際に使われた医療費の額が多い順に並べられたリストを見せていただいたが、みごとに肥満と合併しやすい病気が上位を独占していた。
私が肥満者を保護しなければならないと思う理由の3つある。一つは行政が肥満を社会悪だと言い過ぎると、それはやがて肥満者への差別や偏見へとつながるのではないかという懸念である。肥満者が市の財政を圧迫しているとの情報はいつしか一人歩きし「保険税が高いのは肥満したお前がいるから」という肥満者自身への批判へと変化しかねない。子供に与える影響はさらに深刻だ。肥満児童は、より"正当な"理由でイジメられる。
二つ目はそもそも人には不健康になる権利があるのではないか?という疑問である。例えは女子マラソンや新体操の選手は、体の重さがその成績と結びつきやすいため試合の前には極限まで体脂肪を減らして体重を軽くする。ある調査によると体脂肪率を10%以下まで絞り込んだ一流の選手は、ほぼ全員が月経異常であるという。
また、キックボクシングなどの格闘技も、その競技を行なうにあたりけがをするリスクが高いことを選手達は重々承知している。かつてお会いしたボディビルダーの女性は「生理が来るようではまだ絞り込みが甘い」と言っていた。
もし不健康になる権利を彼らから剥奪したら、とても彼らがいる勝負の世界では生き残れない。
三つ目は太る自由とやせる自由の存在。自らそのリスクを十分承知した上で太ったスタイルや痩せたスタイルを選択し、それに満足して生きている人に行政が痩せろ、太れというのは余計なお世話である。人には自分が好きなスタイルで生きる自由があると私は信じている。
10年間ダイエットの世界を見守りながら私はある結論にたどり着いた。「太っていることは決して悪いことではない。やせたいのにやせれない人がいることと、太りたいのに太れない人がいることが問題なだけ」。現在の医療保険システムから見ればこの考えは間違っているのだけれども。
(ダイエットガイド河口哲也)
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